医師国家試験に合格した医師は、だれでも自由に標榜科目を選択できるようになっています。その中で整形外科専門医とになるためには、医師免許取得後に日本整形外科学会に入会しガイドラインに沿った研修を6年間受け、学会発表、論文発表などの資格審査をクリア後、専門医試験に合格する必要があります。

日本整形外科学会では、整形外科専門医とは、あらゆる運動器(骨、関節、靭帯、筋肉、脊椎脊髄、手足の神経・血管などをひとまとめにした呼び方)に関する科学的知識と高い社会的倫理観を備え、さらに、進歩する医学の新しい知識と技術の修得に日々邁進し、運動器に関わる疾患の病態を正しく把握し、高い診療実践能力を有する医師である。と位置づけています。

専門医取得後も5年毎の更新があり学会や研究会参加、症例の提出などが義務付けられているため、日々新しい知識を身につける必要があるのです。

外科医ですから座学のみでなく手術手技を習得していく必要がありますが、それには長い年月がかかります。私が医師免許を取得したのが2000年、その数年後より研修医制度が変わりましたのでいわゆる旧研修医制度で育った年代です。研修医の頃は第三助手なら良いくらいで第四助手で見えない術野を斜に構えて直立不動で数時間が当たり前でした。学ぶこと、習得することが膨大で体力的にも非常に厳しい研修でしたが、医師としての礎となった研修医時代でした。研修医が終わり越谷誠和病院、北総白井病院、八潮中央総合病院へ出向し外傷の手術を学び、再度の大学勤務後、流山中央病院勤務時代に専門医を取得、その頃より肩外科として関節鏡手術を診療の中心としていました。大学に帰局後も鏡視下手術を軸に下肢の人工関節置換など関節外科として診療、東埼玉総合病院出向時は肩外科手術がやはり中心でしたが、下肢人工関節など多くの関節外科手術に携わり非常に充実した生活を送れていました。

2013年に再び大学病院常勤となり上肢グループに配属、研修時代は下肢の人工関節、スポーツを専門にするつもりだったので少し寂しい気もしましたが、早朝からの英文論文の抄読会などを継続し、研修医時代以上に多くのことを学ぶことができました。2014年には欧米から20年ほど遅れて漸く日本でもリバース型人工肩関節が認可され、これによりかなり進行した関節症を伴う広範囲腱板断裂に対しても安定した手術成績が得られるようになりました。

2021年春、整形外科医になって22年目になります。

振り返ると4.5年毎に新しい分野の波があり、ただそれに乗り遅れないようにしてきたのかもしれません。